「語ること」により失われるもの

新世紀エヴァンゲリオン 12 (角川コミックス・エース 12-12)

新世紀エヴァンゲリオン 12 (角川コミックス・エース 12-12)

書名:新世紀エヴァンゲリオン 12
著者:貞本義行


■評価:可
  物語:○ 情報:ー 斬新さ:△ 意外性:△ 含意の深さ:△ ムーブメント:△ 構成:△ 日本語:○ 
  難易度:普 費用対効果:○ タイトル:ー
  お勧め出来る人 :映像版エヴァンゲリオンを見たが意味がよくわからなかった人・エヴァンゲリオンにて語られていたことの意味を理解する
  お勧めできない人:エヴァンゲリオンの宗教的な部分を楽しみたい人・物語を楽しむ


■所感
 「父と子」って、ツルゲーネフかよ。
 

 貞本はかなりのインテリだな、と思った。
 

 エヴァンゲリオンは、フロイトの心理学を理論のベースとし、ユング心理学的要素を加え、ユダヤ教神秘思想カバラのイメージを諸処に用いながら、物語そのものはキリスト教異端思想グノーシスの物語そのものである、という、かなり計算された物語であるが、庵野は敢えてそれを「語らず」にこの作品を作り上げている。
 だからこそ大衆に膾炙した。
 
 
 貞本は、おそらくそれを一生懸命解釈し、言葉によって説明しようとしている。
 (逆の可能性もある。つまり、実は理論は貞本が組んで、庵野がそれを利用した、という。しかしどうかな。私は庵野はある程度知っているつもりだが(何冊か読んだ。例えば↓)、庵野は確信犯だと思う。この辺りは調べればある程度は解るのだろうが、敢えて調べる気はない)

庵野秀明のフタリシバイ―孤掌鳴難

庵野秀明のフタリシバイ―孤掌鳴難


 しかし、本作の妙は、上記のような理論やイメージを敢えて「語らず」に観る者に押しつけてくるところにある。
 「語る」ことで言葉の縛りを与えてしまっては、本末転倒である。
 

 貞本はインテリであるから、それを正しく理解し、貞本なりの解釈をして読者に「説明」することができる。
 だが、本作を読む限り、それは逆の効果を産み出しているように思えてならない。


 もう1つ個人的な不満。
 貞本エヴァではグノーシスの物語から離れてしまっている。
 グノーシスでは「神への懺悔」も「神への復讐」も語られてはいない。
 グノーシスの物語は偽りの神の造りし世界(肉体)から「解脱」(他に適切な日本語がみつからないので今の時点ではこの言葉を充てる)すること、そのための叡智(即ち「グノーシス」)を身につけることを語っているに過ぎない。
 それは結果として「神への復讐」と捉えられないこともないが、「復讐」は対等及び相手が上、という関係でのみ成り立つ行為で、グノーシスではそもそも「偽りの神」は人間よりも下位の存在であると定義されているから、「復讐」は成り立たない。


 「語り得ぬもの」へのチャレンジは認めるが、その結果として作品が「語り得るもの」まで降りてきてしまっている点は非常に残念である。
 貞本エヴァ。フォースチルドレンのエピソードはかなり良かったのだけどな・・・。
 (ただあれも厳密に言うと庵野がやりたくて出来なかっただけの話だからな)


■読了日
2010/04/04