猿真似は止してくれ

書名:機動戦士ガンダム00
             (1)ソレスタルビーイング (角川スニーカー文庫)
             (2)ガンダム鹵獲作戦 (角川スニーカー文庫)
             (3)フォーリンエンジェルス (角川スニーカー文庫)
著者:木村暢


■評価:不可
  物語:× 情報:− 斬新さ:△ 意外性:△ 含意の深さ:× ムーブメント:○ 構成:△ 日本語:×
  お勧め出来る人 :−
  お勧めできない人:ガンダムWのストーリーを知っている人


■所感
 「あとがき」にあるように、本著は作品スタッフによる編集の手が入った「アニメ原作」に忠実なノベライズである、とのことなので、本著そのものの評価と、本著を通して見た作品の評価との2つに分けて論じる。


 まずは肝心の作品である。
 一言で表すと、「"W"を本格的にやろうとしてやりきれなかった失敗作」と言える。
 "W"とは勿論、1995年に放映された「新機動戦記ガンダムW」のことである。
 この作品は当時多くの(女性)ファンの共感を集め、それまでの「ガンダム」とは異なる層の視聴者を得ることで、「ガンダム」ファンの底辺拡大に貢献した。
 商業的な成功は勿論のことだが、作品としての完成度も高く(あまり認知はされていないが)、その後の作品に大きな影響を与えている。


 前作の"SEED"は、この"W"における「商業的な成功」の要素を抽出して(例えば美形少年が戦隊を組んで戦う、敵の総司令官が主人公達よりも達観で魅力的なキャラクターであるなど)、それらを貼り合わせた「パッチワーク」的な作品である。
 「潔さ」を通り越して「開き直り」すら感じるが、その分視聴者としては割り切って視ることが出来るため、そこまで強い不快感は感じない。
 端から相手にしなければ良いだけのことである。


 しかし、本作では"W"にて掲げられていた「戦争の根絶(完全平和)」や「武器に依らない争いの解決(とその限界)」「『敵』とは何か」といったようなメインテーマに対して「真剣に」取り組んでいる。
 なまじそれが「本気」だけに、こちらの見る目もそれに応じて厳しくなるわけだが、残念ながら本作はそれに耐えうるようなクオリティを備えられていない。
 最終的には「歪み」なる非常に解りやすい概念に諸悪の全てを集約させてしまっており、それを1人の人物の狂気(狂気!なんという思考放棄!)に負わせてしまっている点で、自ら思考放棄してしまっている。
 これではまだ最初から勧善懲悪ものをやった方が良かったのでは、とすら思わせてしまう。

 
 「失敗」の要因は2つあると思われる。
 1つは「設定に頼りすぎて肝心の『問い』が疎かになってしまっていること」。
 "W"は設定の部分に於いては比較的単純な構造で出来ている。
 しかし、そのおかげで問いの本質が見えやすく、また、それらの問いがしっかりと「言語」化されていることにより、視聴者は登場人物達と共にそれらを共有し、自らの頭でも「考える」ことが出来る(これは1stから続く「ガンダム」の「良き」伝統である。登場人物達は(相手に聞こえていようがいまいが)とにかくよく「問答」をする。この「問答」こそが、「ガンダム」を「ガンダム」たらしめている1つの重要な要素である)。
 本作はしかし、この肝心の「問い」の内容が弱い。
 確かに諸処で「問い」はなされているのだが、それらはほとんど「設定」が作り出したその場の「状況」におけるその人物の「内面の葛藤」であり、その人物(とせいぜいその人物が対象としている人物)の中で完結してしまっていて、それ以上に発展しない。
 「個人的な感情」は確かに「問い」の出発点ではあるが、そこからさらに発展させていかないことには、いつまでも自分の中でぐるぐると回り続けて、「止揚」することがない。
 本作ではそのような停滞を外界の「状況」の変化による手段(例えばキーパーソンの死)によって強引に押し進めているが、そこからまた各自が議論を戦わせることなくまた自分の中の円環に閉じこもってしまうため、いつまでたっても「問い」が発展していかない。
 結局それは大量の屍を後に残していくだけである。
 結果得た結論が「世界の『歪み』を正すために僕は戦い続ける」では、あまりにも稚拙で開いた口がふさがらない。


 失敗の2つ目の要因は、"W"のTREIZEの役割を担うべき存在を作りきれなかった点にある。
 "W"におけるTREIZEは、主人公達によって倒すべき「悪」の象徴であるだけでなく、主人公達に対して常に深い「問い」を投げかける「師」の役を担っている。
 主人公達の信念は深謀遠慮で達観な彼の存在によって何度も揺さぶられる。
 また彼の圧倒的な「力」は、主人公達の掲げる理想・理念を何度も叩きのめし、打ちのめす。
 しかし、その中で彼らの「問い」はより洗練され、その信念はますます確固たるものとなり、鍛えられていくのである。
 その影響力は、主人公達の1人が彼の思想を取り込み、彼の意志を継いで彼の役割を敢えて引き受ける程までに強い。
 "W"という作品が些かなりとも有意義な「思考実験」の場を提供しているとすれば、それは彼の存在のおかげであるといっても過言ではない。
 比して本作では、彼の役割を担うべき存在はどこにも見あたらない。
 強いて言えば、彼の役割を担うことが出来る存在としては2人該当する者があったが、片方は純粋な「観察者」に徹していて何も問いかけるようなことはせず、もう片方は単純な「狂気」(狂気!何という思考放棄!)として、それこそ「純然たる悪」として、その役割を放棄してしまった。
 これでは問いの投げかけようもない。


 故に、本作の評価としては、「"W"を本格的にやろうとしてやりきれなかった失敗作」となってしまうのである。


 次に、本著の評価である。
 難点が2点ある。
 まずは日本語。
 これがあまりにもひどい。
 作中の人物が発した台詞は仕方がないとして、その後に続く人物の内面の描写、情景描写、説明のための地の文、どれをとってもあまりにも稚拙で読むに耐えない。
 3巻目からはこなれてきたのかやや改善が見られるが(或いは見かねて編集が相当手を入れたか?)、それでも終始読み進めるのに難儀した。
 これまで大半の「ガンダム」のノベライズを読んできたが、ここまでひどい文章で書かれている作品は初めてである。


 もう1点は状況説明。
 あれがこうなってそれがそうなってここがこうあって、この間にこれこれが、と、ト書きのような文章がならんでいるのには辟易した。
 洗練されていないのである。
 原作(の設定)があるからまだなんとかストーリーの体裁を保ててはいるが、本著を単独の作品として読むことが出来るかと言えば、かなり無理があるだろう。
 「小説」としては、完全に破綻している。


 ただ、人物の内面描写に関しては、(ところどころではあるが)読み手に感じさせる部分が見られた。
 恐らく著者の得意分野はこちらの方ではないか。


 少し、「ガンダム」を背負うには荷が勝ちすぎている感を受けた。


■読了日
2010/12/30