何故若い内は残業しすぎてはならないか

若い内、少なくとも30代の働き盛りになるまで、はあまり残業しすぎてはならない。

理由は、以下の3つ

  1. 若い内に任される仕事は雑務が多く、量をこなしてもあまり勉強にはならない
  2. 若い内に任される仕事は責任が軽く、従って、少しぐらいよい成績を残したところで大きく評価されることはない(給料の差も微々たるものである)
  3. 若い内に体を壊すと、本当に必要な時期に「無理がきかない」体となってしまう

勿論、ある程度の量をこなさなければ、仕事は出来るようにはならないし、あまりにも経験の量が少ないと、それが原因で伸び悩みとなることがある。

だが、それらを勘案したとしても、若い内は残業しすぎてはならない。

必要最低限の仕事をしっかりとこなしていれば、必要な経験を積むことは可能であり、過度の残業は無益である。

信頼が関わってくるような場面、「ここぞ」という場面を除いては、極力残業を避け、自らを高めることに時間を使うべきである。

私の経験則から言えば、月40h以上は黄色信号である。

確かに、仕事から学ぶことも多い。

そもそも仕事というものは、ある程度の量をこなさなければ、「出来る」ようにならない。

だが、少々の訓練と経験で出来るようになる仕事などたかがしれている。

そのような仕事は、さすがに初めての時には勉強になり、ある程度の量までは、やった分だけ能力の向上に繋がるが、ある地点からどれだけの量をこなしてもまったくそれが能力の向上には繋がらなくなる。

この時点で、一見「仕事が出来る」人間になったように思い込んでしまうが(特に右も左も解らないような後輩が入ってくるとこの勘違いに拍車がかかる)、実際にはその「仕事」とは、他の誰でも務まるような単純作業に毛が生えた程度の仕事でしかないことが多い。

本来は、万人に対して、常に一定のチャレンジを含んだ仕事を与えられ続けることが理想ではあるが、会社という組織の中ではそれが「食べられるような餅」になることはまずない。

組織の中では、必ず誰かがやらなければならない「作業」というものが無数に存在し、そしてそれは勿論「仕事が出来ない」下っ端の「仕事」となるのである。

若い内は、自分が今取り組んでいる仕事が、自分にとってチャレンジであるか、を常に意識しなければならない。

自分の勉強の時間を犠牲にしてまでその仕事のために残業すべきかの目安は、そこから何か新しいことを学ぶことができるかどうか、である。

(勿論、自分の「信用」はしっかりと守らなければならないが、これはあまりにも当たり前のことであるからここでは考慮しない)

もし、今の技能でそつなくこなすことが出来る仕事ならば、無理をせずに必要最低限の残業だけにとどめて、空いた時間を自らの勉強に充てるべきである。

「働き盛り」となれば話は別で、この時期はがんばり時である。

通常、この時期に任される仕事は、会社の利益に直結するような仕事となってくるからである。

しかし、たとえそのような重要な仕事ではなく、相も変わらずつまらないルーティーンだったとしても、この時期は、自分の都合だけでさっさと帰ってしまう訳にはいかない。部下のフォローもしなければならない。

ただ、この時期は働けば働いた分だけ(「実績」という形で)報われるような時期なので、体力が許す限り、仕事に打ち込むと良い。実績が上がれば、自らの発展の機会となるようなチャレンジングな仕事が必ず回ってくる。

このように、「働き盛り」は「仕事漬け」の状態となるわけであるだが、このようなの状態が続いても、先細りせずに発展し続けていけるようになるためには、若い内にしっかりと基礎を固めておくこと(と勉強の習慣を身につけておくこと)が必要となる。

だからこそ、若い内は残業しすぎてはならない。

思うに、「プログラマ35歳定年説」は、この国のソフトウェア開発者の働き過ぎが生んだ現象なのではないか。

ソフトウェア開発という仕事は、やるべきことを探そうと思えばいくらでも見つかる、果てのない作業である。

しかも、その大半は「雑務」と呼ぶのにふさわしい、泥臭い作業である。

「雑務」はまったく勉強にならない、というわけではないが、コツを掴んでルーティーンになってしまったら、もうそこから学べることはほぼない。

この「量が質に転化しない」雑務に1日の大半、ひどいときには1ヶ月、果ては1年の大半をとられてしまっては、新しいことを勉強する時間などほとんど無くなってしまう。

それでもまだ若い内は吸収が早いから、短時間で新しいものを身につけることが出来る。

体の方も多少は無理がきくから、理解が遅い人でも何とかついていくことが出来る。

だが、年齢を経るにつれて、新しいことを理解するのには時間を要するようになってくる。

(勿論、技術基盤がしっかりしている人は、年齢を経れば経るほど積み重ねが大きくなり、応用が聞くので新しいことを習得するのに必要な時間は短くなる。そのためにも若い内にしっかりと勉強していなければならない、というのが本論の主張)

体は、もう無理がきかない。

その中で、給料相応(この国ではイコール年齢相応)の働きが求められる。

そこである時(大抵の場合は無理をして体を壊したあげくに)、ついに習得が追いつかなくなって辞めざるをえなくなる、というのが最近の私の仮説である。