それでも受け入れるしかないのだよ

文藝春秋 2010年 09月号 [雑誌]

文藝春秋 2010年 09月号 [雑誌]

書名:文藝春秋 2010年09月号
作品名:乙女の密告
著者:赤染晶子


■評価:優
  物語:○ 情報:○ 斬新さ:◎ 意外性:○ 含意の深さ:◎ ムーブメント:○ 構成:○ 日本語:○
  難易度:難 費用対効果:◎ タイトル:○
  お勧め出来る人 :アイデンティティの問題について考えたい人
  お勧めできない人:エンターテイメントを求めている人、反戦平和の物語を求めている人


■所感
 久しぶりに芥川賞の「合格小説」に出会った感。
 予想通り石原さんはこてんぱんにこき下ろしていたが(あの方の拠って立つところを考えるとこんな作品を認めるわけにはいかないのだろう。私も単なる「反戦平和」的なメッセージの作品だったら、ありとあらゆる表現を駆使して如何にこの作品が駄目であるかを延々と記述していたに違いない)、ここ数年の芥川賞受賞作と比較して、本作の水準が群を抜いて高いものであること自体は否定できるものではあるまい。
 あとはもう、単純に好き嫌いの問題となる。
 私は、この作品に関しては嫌いではない。


 読み終えて最初に感じたことは「これは凄い作品だ」ということであった。
 月並みな表現で恥ずかしいが率直に「凄い」と感じたのだ。
 何がかといえば、本作が問う「アイデンティティ」に対する問いの鋭さである。
 「私が私でありたいと思う」かそれとも「私以外の他の者でありたいと思うか」は、アイデンティティの問題を語る上で非常に重要な要素である。
 本作はこの点を実に鋭くついている。
 本作を読んだ後では、誰しも考えざるを得まい。
 「果たして、私は 『私でありたい』ということが出来るだろうか。それとも。」、と。
 

 本作の「凄さ」は、「アンネの日記」の再評価、ひいては第2次世界大戦におけるユダヤ人虐待の意義についての再評価にある。
 言葉で書くと非常に月並みで誤解を生む表現であるが、これを一言で表すとすれば「ユダヤ人は本当に『無辜の被害者』だった」のだろうか」ということになる。
 確かに、大量虐殺の対象になったという点では歴然とした「被害者」であり、そのことに対しては(その片棒を担いだと非難されても仕方がない)我々は彼らに対して頭が上がらない。
 しかし歴史は、そして民族・宗教の問題はそんなに単純なものではないということを、本作を通して考えさせられることになるだろう。


 肝心の物語であるが、物語としては破綻していると言わざるを得ない。
 私自身はこの類の破綻は嫌いではないので評価としては○(良い)をつけているが、大半の人にとっては、釈然としないまま終わってしまうと思われる。
 ちなみに前半は正直非常に退屈である。
 (設定だけを理解して)読み飛ばしてしまっても、後半の理解に差し支えはないので、思い切って読み飛ばしてしまっても良いだろう。
 前半の退屈さに躓いて後半を読まずに終わるには少々もったいない作品である。


 作者はまだ「血を吐き続け」ながら書き続ける意志があるらしい。
 次作以降にも期待したいところである。


■読了日
 2010/08/13