文壇の巨匠達の認知的不協和
芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか―擬態するニッポンの小説 (幻冬舎新書)
- 作者: 市川真人
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2010/07/01
- メディア: 新書
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著者:市川真人
■評価:良
情報:◎ 新規性:△ 構成:△ 日本語:○ 実用性:△
難易度:やや難 費用対効果:○ タイトルと内容の一致:○
お勧め出来る人・用途 :小説と社会との関わりに関心がある人・この国の近現代小説と社会との関わりについて知る
お勧めできない人・用途:文壇の裏話的な内容を求めている人・芥川賞選考過程の裏事情を知る
■所感
前半の、村上春樹が芥川賞の受賞を逃した理由の考察が秀逸。
使われている道具としては、「近代の超克」「恥ずかしい父」など比較的良く用いられるオーソドックスなもので、部分部分は確かにどこかで聞いたことがある論評ではある。しかし、本書の理論は明解で1つ筋が通っているという点で優れている。
一般に、用いる道具は少なければ少ないほど良く、理論は単純であればあるほど良い。
そういう意味でも、本書における、「村上春樹の芥川賞落選」を軸とした近現代日本の文学(純文学)の歩みの分析は非常によくまとまっていると言える。
本書のメインテーマである「村上春樹は何故芥川賞を受賞出来なかったか」に関して、簡単にまとめると以下のようになる。
強くて頼りがいのあるアメリカ(「強い父」のイメージ)と、アメリカなしには生きていけない自分たち(の父親=「恥ずかしい父」のイメージ)という認めたくない「父」の存在があり、その現実から目を背けさせてくれるような作品やその現実に対するカタルシスになるような作品は受け入れられやすい。しかし、その現実と直面し、その現実、即ち「アメリカ無しでは生きていけない」「父になれない」という現実を嫌というほど突きつけられるような作品に対しては、認知的不協和を感じるため、選者は否認、或いは無視或いは思考停止してしまう。
この後、この仮説を立証するために、当時の芥川賞の選評が引用されるが、村上春樹に対する同時代の芥川賞選考委員たちの反応が、著者のこのような仮説を綺麗に反映するものとなっている。
ただ、中盤から後半にかけての内容は、読むに値する内容であるとは言い難い。
太宰治の『走れメロス』に対する著者の解説文(というよりはほとんど「ツッコミ」といってよい)は、抱腹絶倒するような大変愉快な文であるが、勿論本筋からは大きく外れてしまっている(著者の本書における「思い」は、「もっと『小説』のおもしろさを知って欲しい」というものであるとあとがきで述べられていたので、そういう意味では、目的に合致しているかも知れないが、それであれば「掴み」という意味で、最初に持ってきた方が座りとしては良かった。読み手としては、語り口も文体もだんだん「崩れ」ていくので、「おやおやおや?」と思わざるを得ない)。
また、『ALWAYS 三丁目の夕日』を題材にした「国家論」は論の展開が強引で、少々行き過ぎた「陰謀論」にしか感じなかった。夏目漱石や森鴎外らがあたかも「(近代)国家」の「手先」のような書かれ方をしているが、論拠はどこにもない。人によっては不快感を感じるかもしれない。勿論、著者の意図はそこにはないとは思うが、読み手はそのように感じてしまうだろう。間違った知識を身につけてしまう者も多いだろうと思われるので、厳重注意ではある。
だんだん崩れていく文体と共に(そしてメインカルチャーから、徐々にサブカルチャーが引き合いに出される作品の中心となっていく過程と共に)、本書の評価も「秀」から「優」を経て「良」まで落とさざるを得なかった、が、一読の価値はある良書には違いない。
特に、前半の「村上春樹と芥川賞」に関する論考と、中盤の「新説『走れメロス』」の部分は(ただし後者はあくまでエンターテイメントとして)秀逸なので読んでおきたい。